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トマス アクィナスの五つの道

トマス アクィナスの五つの道

トマス・アクィナスの五つの道で神の存在を考える

トマス・アクィナスは中世の哲学者であり、神の存在を理性によって証明するために「五つの道」と呼ばれる論証を提案しました。これらの道は日常生活で私たちが直面する状況や観察から出発し、神の存在を考える手がかりとなります。では、アクィナスの五つの道を一つずつ見ていきましょう。

目次

第一の道:動かされるものから動かし手へ

私たちが日常で目にする物体やものは、いずれかの力によって動かされていますよね。例えば、自転車に乗るときに私たちはペダルを漕ぐことで前進することができます。ここで、自転車自体が動くためには、私たちがそれを動かさなければなりません。しかし、自転車を動かすために私たち自身も動かされなければなりません。では、その動かす力の元となるものは何でしょうか?もし、私たちが無限に動かされているのであれば、初めに動かす力を持つものが存在するはずです。それが神なのです。

第二の道:原因と結果の連鎖

私たちがこの世界を見回すと、様々な原因と結果の連鎖を目にすることができます。例えば、種をまいて水をやると、花が咲いたり、野菜が育ったりします。これは種と水が原因であり、それによって花や野菜が結果として生じるのです。では、この連鎖の初めの原因は何でしょうか?もし、無限に原因が存在するのであれば、最初の原因が存在しなければなりません。そして、その最初の原因が神と考えられるのです。

第三の道:存在の可能性と必然性

この世界には様々な存在がありますが、それぞれの存在は必ずしも存在する必要はありません。例えば、私たち人間も存在しなくてもこの世界は回り続けるでしょう。しかし、私たち人間の存在を可能にする何かが存在するはずです。もし、それが存在しないのであれば、私たちも存在しないはずです。そして、それが神と呼ばれる存在だとアクィナスは考えたのです。

第四の道:完全なものの比較

私たちが日常で何かを見比べるとき、完全なものと相対的なものとを比較することがあります。例えば、冬の雪と夏の日差しを比べると、雪の方が冷たさや白さにおいて完全に見えます。このように、相対的なものの存在があるからこそ、完全なものの存在を知ることができます。そして、完全であるとされるものを比較すると、それには神の存在が示唆されるのです。

第五の道:調和と目的の存在

私たちが自然界を見渡すと、驚くべき秩序と調和が存在していることに気づくでしょう。例えば、植物が日光を浴びて光合成を行っている姿や、生物が繁殖して次の世代を残している姿などがそれに当たります。このような調和が生まれるためには、統制する知性が存在しなければなりません。そして、それが神によってもたらされているのです。

まとめ

トマス・アクィナスの五つの道を通じて、私たちは神の存在を考える手がかりを得ることができます。アクィナスの論証は日常生活と密接に関連しており、物事の因果関係や調和、存在の意味について考える機会を提供してくれます。しかし、これらの道が完全に神の存在を証明するものではないことに注意しましょう。それでもなお、私たちの世界や日常生活における不思議な側面を考えることで、神についての深い洞察を得ることができるでしょう。

神の存在は信仰や哲学的な問いとして様々な考え方や意見が存在します。アクィナスの五つの道はその一つであり、私たちの知的好奇心や探求心を刺激するものです。それは、私たちが日々の生活の中で感じる不思議や喜びとも関連しており、私たちが生きる意味や存在の目的を考えるきっかけとなるでしょう。

このような考え方は、中学生の皆さんにも理解しやすいものです。私たちが目にする日常の出来事や自然界の法則を通じて、神の存在について考えることは、私たちの成長や宗教的な信仰の範囲を超えて、より大きな論理的思考力や哲学的な洞察力を養う手助けとなるはずです。

参考文献:

  • Kreeft, P. (1990). "Summa of the Summa". Ignatius Press.
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